「会社に人生を預けるな」 光文社新書 勝間和代著 2
薔薇棘のメーリングリストで勝間さんがこの本をメンバーには献本してくれるというので、ご本人に「ぜひ下さい」とメールを送ったところ、その2~3日後に出版社から送られてきた。「忙しい人は仕事が速い」とよく母が言っていたが本当だと思った。
私自身は2度の転職の末、人生を預けようにも預けようの無い外資系金融企業に漂流したため、会社に人生を預けることは、希望しても不可能な状況にある。制度や福利厚生面では今の会社はとてもいい会社だと思うが、雇用保証だけは、無いと考えておくのがやはり妥当だと思う。
私は特に上昇志向も無く、報酬面での欲も大して無いが、報酬の市場性については20代の後半くらいで気がついた。それ以来、提供する労働に対して不当に安く使われることは嫌だとは考えるようになった。つまり私が提供する労働を高い値段で評価してくれる、条件の良い会社で働く方が良いという考え方だったため、今の場所に流れ着いたのはその意味では当然だったかもしれない。
日本企業の報酬水準は市場ではなく、年次で決まる。だから新卒採用で企業に入り、黙って人並みの(要するに年功序列的な)昇格・昇給を繰り返していると20代後半頃から30代にかけて、提供できる労働の価値が報酬を上回る時期が構造的に存在する。
これは不公平な話なんで、気がついたら会社に猛烈に文句を言って給料を上げさせるか、もしくは転職をするか、何らかの手段で意識的に調整する方向で動いた方が健全だ。・・・と考える私は真っ向から終身雇用が前提とする年功序列の考え方に反抗的なようだが、まあその通りで、報酬は年功序列ではなく、基本的には、仕事の内容と市場の水準で決まるべきものと考えている。
私は外資金融に転職して納得のいく報酬の代わりに雇用保証を失ったとは思うが、外資系企業には流動性のある人材市場があり、ノウハウを持ったエージェント(ヘッドハンターとか)も存在する。個人的にも、2度の転職の経験でひとつのドアを閉めると次のドアが開くことを知った。だから雇用保証が無いことを私はそれほどマイナスには考えておらず、現実の企業の栄枯盛衰サイクルのスピードを目の当たりにして、会社に雇用保証をどれだけ求めるかは個人の選択も問題もある程度はあるとは思うが、あんまし保証が無かったとしても、それは会社が無責任ということではなく、時代の必然ではないかと感じている。
この本が指摘しているのは、私も身を持って感じている経済環境の変化の早さと終身雇用という静的な日本の雇用慣行のギャップが日本社会に生み出している弊害で、確かに、経済状況がどのように悪化しようと、今の日本の法律では、事実上、会社は社員を解雇することはできない。
リストラとかいっぱいやってるじゃんと思うんだけど、あれは解雇ではなく、大抵の日本企業がやっているのは早期退職制度で、社員の自発的な早期退職の希望に基づいている(少なくとも、そういうことになっている)。外資系企業がやっているのも多分大半はアウトプレースメントのオファー(不況で社内には仕事が無いので、社外で仕事を探してくれという打診)であって、あくまでも対象者の同意を前提としているから、一方的に解雇しているのではない。
企業にとって合法的にできるのは派遣社員とか、契約社員とかの非正規従業員の契約期間満了に伴う、いわゆる「雇い止め」による解雇だけで、それでさえ、社会問題とされ、その合法性が問われているケースもある。
この現状に、「終身雇用制の緩和、正規雇用と非正規雇用の均等待遇、総労働時間規制の三つをセットで、国が行え」というのが著者の主張で、確かに今の正規・非正規雇用者の待遇の差には、公平さを欠くものがあり、かといって経営者の視点から見たときに、経済状況の変化に応じた労働者数の調整が現実的には必要であれば、終身雇用という慣行を考え直さざるを得ない。
ここで著者が提案しているのは、国と企業と個人の間でリスクをもっと分散しましょうということでもあると思う。終身雇用制度は、若い間は上がりにくい賃金や長時間労働など、個人にとってのリスクもあるが、雇用の継続だけは保証されている。だから不況になっても正規雇用社員の人員削減はできないというリスクは、企業が丸抱えしている。一方、非正規雇用の人たちは、雇用の継続が保証されず、個人が経済変動のによる雇用喪失のリスクをひとりで負う形になっており、バランスが悪い。
さらに総労働時間規制も視野に入れ、一人当たりの総労働時間規制を決めることによって、雇用される機会のある労働者の人数を増やすとともに、ワークライフを推進するというのが著者の考えで、総労働時間規制については私ももっと知りたいと思った。
「お上はかなりテキトー」、「大企業の経営者は、残念ながら、大半はめまいがするくらい凡庸です」の率直な指摘には爆笑。でも何事も、お上や上司に任せてしまうのではなく、最終的には自分で考えて判断する習慣を持つ必要があることは同感。









