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2009年10月18日 (日)

9月19日(土) 「ビジネス経営孫子」講義 まとめ表

第五講「勢編」

▼ とても興味深く、役立ったこと

1) 三軍の衆、必ず敵を受(う)けて敗(はい)なからしむるべきは、奇正(きせい)これなり。兵の加うるところ、碬(たん)をもって卵(たまご)に投(とう)ずるがごとくなるは、虚実(きょじつ)これなり。
敵に負けないようにするには、「寄正」。正攻法と奇襲のバリエーションがある。まず正があって、奇がある。正攻法を知らないと、奇策は打てない。自軍が、敵軍に打撃を与えるのに、砥石で卵を割るようにするには、「虚実」である。実態と虚像の2つを使い分ける。「寄正」と「虚実」でどう使い分けるか。どちらにしても、正攻法を知っていて、実力が無いとダメ。

2) 善(よ)く戦う者は、その勢(せい)は険(けん)にしてその節は短なり
奇正の変が無くて、休んでんだか、働いてんだか分かんないのはダメ。よく戦う者は、激しく、厳しく、瞬間的に、ぱっとやる。誰でもやれることが超一流でないと。例えば魚をおろすのにでも、味が引き立つように切れるか。玄人は、刃を入れたり、抜いたりする、勢いが違う。全ての人生はここが要点。これぞという時の集中力ですぱっとやる。

3) 利(り)をもってこれを動かし、卒(そつ)をもってこれを待(ま)つ
敵をこちらの思惑通りに誘導して、相手の出方を待つのが良い。こっちが、「さあどうするか」と言ってゆかないと。相手に決断を迫られるようではダメ。

4) 円石(えんせき)を千仞(せんじん)の山に転ずるがごときは、勢(せい)なり
勢いは、丸くて転がりやすい石を山から転がして落とすようなもの。四角い「方」の人間ばっかりだと転がらない。

▼ 本日の感想
孫子の兵法は、対人関係にも応用できるといつも思います。争いには持ち込むことなく自分にとって有利な状況に持ち込むには、そもそも自分の考えがいろいろな原則にのっとって理にかなったものでなければならないという大前提がありますが、それでも理不尽な相手に負けるということもあることを考えれば、自分の考えは正しい判断に基づくものかをよく考えた上で、こちらも戦略を持つことは合理的だと思います。

自分が仕事をするときは、「その勢(せい)は険(けん)にしてその節は短なり」でぱっと質の高いことをするのが効果的で、人に仕事をして欲しいときは、その人の力だけを頼りにするよりは、「千仞(せんじん)の山」のような、勢いを作り出すための舞台を用意することを考えることだと思いました。

また相手との交渉では、相手に決断を迫られるようではまずいので、相手よりも少し先の視点を持って周到に準備をして、「どうするんですか」と聞いてゆくのが良いことが分かりました。それができるようになるには、現状について情報が集められること、集めた情報をもとに、今後の見通しについて正しい判断ができること、これから起きることに先回りして周到な準備ができること、これらのことを短時間のうちに、高い品質を保って完了できることが必要となるので、日々の生活の中で意識を持って自分を高めて行く必要があると思いました。

特に重要なのは最初の判断の部分かもしれません。自分の感情とか、自分がどうしたいということに流されるのではなく、周囲を良く見て、自分が身を置いている社会の規範と照らし合わせて、何が妥当かを判断し、それに従える自分であることは勝つためには重要と思います。

第五講 勢編 – 7

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ゆえに善(よ)く戦う者は、これを勢(せい)に求めて、人に責(もと)めず。ゆえによく人を択(す)てて勢(せい)に任(にん)ず。勢(せい)に任ずる者は、その人を戦わしむるや、木石(ぼくせき)を転ずるがごとし。木石(ぼくせき)の性(せい)は、安(あん)なればすなわち静(せい)に、危(き)なればすなわち動き、方(ほう)なればすなわち止(とど)まり、円(えん)なればすなわち行(ゆ)く。ゆえに善(よ)く人を戦わしむるの勢(いきお)い、円石(えんせき)を千仞(せんじん)の山に転ずるがごときは、勢(せい)なり。
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名司令官、名上司は、業績を勢いに求めて、人を責めない。「勢いをつけてあげるから、ちゃんとやってよ」と人をあてにするのではない。時流に乗っているとか、いいビジネスモデルがあるとか、誰がやっても、上手くいくようにしておく。

勢いをたよりに戦う人は、木や石を流れに放り込むようなもの。嫌でも社員は流れてゆく。木石(=社員)の性質は、安定していると静か(=スタティック・静止)になってしまうから、人生には、少し危うさもあった方がいい。頭で分かってて実行しない人も、危機が迫れば重い腰が上がる。緊張感を持たせる。この世に安泰なんて、本当は無いのでは。四角い(=「方」)と転がりにくい。自分は四角くなってないか。丸ければ、転がりやすい。

勢いは、丸くて転がりやすい石を山から転がして落とすようなもの。四角い「方」の人間ばっかりだと転がらない。能力があっても意欲が無いんじゃしょうがない。それでは勢いが出てこない。

勢いを作るのはミドルの役割。人のせいにしない。

第五講 勢編 – 6

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ゆえに善(よ)く敵を動かす者は、これに形(けい)すれば敵必ずこれに従い、これに予(あた)うれば、敵必ずこれを取る。利(り)をもってこれを動かし、卒(そつ)をもってこれを待(ま)つ。
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敵を誘導するには、敵を誘い出す。そうすると敵はこれに乗ってくる。敵をこちらの思惑通りに誘導して、相手の出方を待つのが良い。こっちが、「さあどうするか」と言ってゆかないと。相手に決断を迫られるようではダメ。

きっかけを与えて、主導権を握る。待ち受けて戦った方がいい。

第五講 勢編 – 5

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乱は治に生じ、怯(きょう)は勇に生じ、弱は彊(きょう)に生ず。治乱は数(すう)なり。勇怯(ゆうきょう)は勢(せい)なり。彊弱(きょうじゃく)は形(けい)なり。
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外見上、乱れているように見えても、内側は治まっていないと(=内の治)。恐怖は勇気から生ずる(=内の勇)。命知らずの勇猛果敢はダメなので、勇気があっても慎重で臆病でないと。柔軟さは、内に強いものがあるから生まれる(=内の強)。

治乱は兵数による。勇怯は勢い、強弱は形。

心が治まっているから、武器としての乱が演じられる。世阿弥の「風姿花伝」は兵法書としても読める。芸道は戦いと同じ。鬼が狂うのを演じるのは冷静さ。つーんと冷たいところがないと姿の乱れは伝わらない。人生は、「客として来たがごとくせよ」。自宅に帰るときは死ぬとき。人生を演じる。

第五講 勢編 – 4

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紛紛紜紜(ふんぷんうんうん)として闘(たたか)い乱(みだ)れて、乱(みだ)すべからず。渾渾沌沌(こんこんとんとん)として形円(まる)くして、敗(やぶ)るべからず。
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戦いが乱れてくるが、一見乱れていても、心まで乱れていてはいけない。冷静さを失わない。混沌とした状態であっても、「円」=どうにでもなる形で、敗れることのないように考える。

精神的な勇気は冷静さを保ちきること。いつも自分を客観的に見られないと。

第五講 勢編 – 3

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激(げき)水の疾(はや)くして石を漂(ただよ)わすに至るは、勢(せい)なり。鷙鳥(しちょう)の疾(はや)くして毀折(きせつ)に至るは、節(せつ)なり。このゆえに善(よ)く戦う者は、その勢(せい)は険(けん)にしてその節は短なり。勢(せい)は弩(ど)を彍(ひ)くがごとく、節は機(き)を発するがごとし。
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勢いというのは、激しい水が流れて、石を転がすようなもの。不可能を可能にする組織には勢いが必要。奇正の変が無くて、休んでんだか、働いてんだか分かんないのはダメ。勢いは、「節」。ゆっくり回遊していた猛禽が、小鳥めがけてすっと行く。そうすると小鳥は背骨を折って墜落して行ってしまうから、今度はすぐ銜えないといけない。早業が繰り出せないと。ダラダラやるんじゃない。集中して、やるときはやる。休むときは休む。「節」が大事。「節」は節度、集中、ダラダラしないで正念場に力を集中すること。

準備には時間をかけていいけど、はじまったらだーっと瞬時にやる。

よく戦う者は、激しく、厳しく、瞬間的に、ぱっとやる。誰でもやれることが超一流でないと。例えば魚をおろすのにでも、味が引き立つように切れるか。玄人は、刃を入れたり、抜いたりする、勢いが違う。

全ての人生はここが要点。これぞという時の集中力ですぱっとやる。

勢いは、石弓(弩(ど))を引くようなもの。エネルギーを蓄積する。緊張感を持ってぎりぎりと引く。節は、機=チャンス。人生のこのとき、というときに弓を離すのはぱっとする。

第五講 勢編 – 2

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およそ戦いは、正(せい)をもって合(がっ)し、奇をもって勝つ。ゆえに善く奇を出(い)だす者は、窮(きわ)まりなきこと天地のごとく、竭(つ)きざること江河(こうが)のごとし。終わりてまた始まるは、日月(じつげつ)これなり。死してまた生ずるは、四時(しじ)これなり。声(こえ)は五に過ぎざるも、五声の変は勝(あ)げて聴くべからざるなり。色(いろ)は五に過ぎざるも、五色(ごしき)の変は勝(あ)げて観(み)るべからざるなり。味(あじ)は五に過ぎざるも、五味(ごみ)の変は勝(あ)げて嘗(な)むべからざるなり。戦勢(せんせい)は奇正(きせい)に過ぎざるも、奇正の変は勝(あ)げて窮(きわ)むべからざるなり。奇正のあい生ずることは、循環の端(はし)なきがごとし。たれかよくこれを窮(きわ)めんや。
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戦いは、正攻法で始まる。それで奇=バリエーションが繰り出せるように考える。文章でも、会話でもそうで、それが全て、この世の道理。バリエーションを出すことには、大河の流れに尽きることが無いように、つきる事がない。ワンパターンではダメ。終わるかと思ったらまた始まるとか。一日も、終わったかと思うと次の日が来る。季節も、終わったかと思うとまためぐってくる。

正と奇は両方知らないと。40才までは正攻法で。そうすると40才から奇が、50才で寄正が使えるようになり、60才で円熟するから退職するのはもったいない。

「もうこれしかない」じゃなくて、正攻法を身に着けてバリエーションが出せるようにする。基本をちゃんとやっとかないとバリエーションは出てこない。社会人の基本は、よりよい人間関係作りと、判断力があること。判断するには、基準が必要。「正」という字は、「この線で止まれ」でできている。規範があると、判断できる基準がある。

「信なくば立たず」が人間関係。家族も、会社での人間関係もそう。信頼は規範の産物。規範が同じだから信頼できる。規範が共有されている、自分と同じということが大切。そうじゃないと不信になる。キレても、抑え込む力があるかどうかが、規範。親を刺したらどうなるか、考えて止まれるかの違い。戦後、規範教育を無くしたから、無規範社会になってしまった。規範社会にしないといけない。

規範が無いのは、背骨が曲がっているようなもの。無規範社会はキレたらキレっぱなしで恐い。20世紀は体力もあったが、21世紀は思考力の勝負。他者には無い価値を生み出さないと。日月のように次々に出さないといけない。正がちゃんとできていれば苦しくない。

五声、五味、五色、というように、陰陽五行(水・土・木・金・火)で何でもこの5つからできている、という考え方がある。音も、色も、味も5つだが、かけあわせると様々な組み合わせができる。

戦いの勢いは奇正で決まるが、その組み合わせは無限。奇正の組み合わせには終わりが無い。これを極めることができないくらいの組み合わせがある。極めることはできないけど、どこまでやったか。

第五講 勢編 – 1

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孫子曰く、およそ衆(しゅう)を治(おさ)むること寡(か)を治むるがごとくなるは、分数(ぶんすう)これなり。衆を闘(たたか)わしむること寡(か)を闘わしむるがごとくなるは、形名(けいめい)これなり。三軍の衆、必ず敵を受(う)けて敗(はい)なからしむるべきは、奇正(きせい)これなり。兵の加うるところ、碬(たん)をもって卵(たまご)に投(とう)ずるがごとくなるは、虚実(きょじつ)これなり。
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大軍(=「衆」)を治めるのは難しいが、それを少人数(=「寡」)の組織のように治めるには、編成する=分ける。編成も独特でないと。自分に合ったスタイルが組織には必要。

大軍を戦わすには、旗、鐘、太鼓のような「形」と、「名」=命令・号令・指令が必要。
それで指揮が前線に届くように。リーダーシップを行きとどかせる。
編成をしたら体制を持ち込む。それで号砲で勢いを生む。

運動会の帽子のように赤白で分けたり、ユニフォームを着せたりすると、敵味方が分かるようになるだけでなく、団結心が生まれるのが人間というもの。会社のバッチやロゴも同様の効果がある。音は戦うときにすごく重要で、鐘や太鼓や奇声で恐怖に打ち勝つ。日本では馬の首に鈴をつけた。例えば決済手段をモバイルやウェブに変えたりするのも、「形名」。

敵に負けないようにするには、「寄正」。正攻法と奇襲のバリエーションがある。まず正があって、奇がある。正攻法を知らないと、奇策は打てない。人間関係が上手い人はバリエーションに富んでいる。正攻法が身についていないとできない。

自軍が、敵軍に打撃を与えるのに、砥石で卵を割るようにするには、「虚実」である。実態と虚像の2つを使い分ける。
「寄正」と「虚実」でどう使い分けるか。

どちらにしても、正攻法を知っていて、実力が無いとダメ。
カンフー映画でもそう。いつも同じじゃなくて、バリエーションがある。

第五講「勢編」

当時の情報伝達手段は、第十三講「用間編」にあるように、「間者」。間者といっても忍者だけではなく、商人なども情報を得るために使っていた。情報を得たら、また第一講の「計編」に戻って、計画に生かす。計画が良くないと成功できない。

人間に精通していないとダメ。それが鍵で、人間を学ぶ。それには論語はいい。古典を読んで、現実社会に生きる。論語で基準を得て、それを実際のビジネスに生かす。

第十三講から第一講に循環するように、孫子のお互いの編は関連している。
第四講の「形」がまずあって、第五講の勢いがある。形がまずあることが重要。寝転がっているおじさんとか、のっそりした形、姿勢で勢いを感じるか。獲物を狙う野生動物の形には、勢いがある。

形は静。「勢いは形の動なり」といって、形を勢いに転換する。形だけでも、爆発するような姿を見せる。

人生でも仕事でも勢いが必要。エネルギーには限界がある。限界を突破するのが没頭没入で、体は媒体として動いている状態。やらされている、嫌々やっているのは放出するだけだからダメ。それでは免疫も低下するし、そういう人は周りの人にもはためいわく。楽しく生き生きしている人は一緒にいても気持ちのいいもので、元気で勢いがあるのは業績を上げるよりいい。

勢いは世の中にたくさんある。それを自分にどう呼び込むか。形をととのえると入ってくる。よーしやってやろいうという形でないと勢いは呼び込めない。嫌々、腰が引けて、積極的でなければ入ってこない。朝は大きな声で「おはようございます」と言って自分で形をつくってゆく。

嫌なこと、不愉快なこともあるから人間の人生はいい。甘いものばっかりでは飽きる。苦いものも辛いものもあった方がいい。それもちゃんと味わってみる。それに青くなったり赤くなったりしないで、それを承知の上で生きていかないといけない。

形の最たるものは「無形」。それには相当な老練が必要。60過ぎたら無形、「心の欲するところに従えども矩をこえず」となるのが理想。そういう自分にどうなるか。どんな条件でも楽しめるような、そんな人間になるのが究極。

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