« 2009年5月 | トップページ | 2009年7月 »

2009年6月21日 (日)

感想(仁徳第三十五・微明第三十六・爲政第三十七・論徳第三十八)

■とても興味深く、役立ったこと
1. 道は淡々としたもの
美しい音楽やおいしい食事には行き過ぎた人も戻ってくる。でも「道」は音楽や食事のようにおいしかったり、美しく聞こえたりはしない。道は淡々としたもの。でも実は、淡い味は一番の美味。道を用いれば無限。ほどほどが最上と知る。うんといいと悪い方にも行くから、中庸を心がける。

2. 反対をやる
何か欲しいと思ったら、何かをすてると得られる。反対をやるといい結果が出る。だったら自分からそれをやればいい。それが生きてゆくコツ。

3. 10年続ける
AもあればBもあるといった、柔弱、多様性を認めるリーダーでないとこれからはダメ。そうなれるためには謙虚さ、寛容さが必要だが、そうなるためには自己の確立が必要。自分に自信が持てるとできるようになる。
儒学者の佐藤一斎は、「一灯を下げて暗夜を行く、暗夜を憂うることなかれ、ただ一灯を頼め」と言ったが、「一灯(いっと)」とは「私にはこれがある」と思えるもののこと。世界広しといえど、これは私しかないというものをひとつでいいから持つ。石の上にも3年というが、10年も続けたら3年の3倍。オンリーワンを持つこと。

4. 「無為」を守れば、全て自らいい方向に行く
無私無欲で人為的にしないで流れをくんでやると、道は何もしていないように見えるけど、為さざるは無し(できないことは無い)。これは老荘思想、老子のすごいところ。道のありようは、「無為」を守れば、全て自らいい方向に行く。
自分の人生のテーマはいつも持っていて、すぐやろうと思わない。長期的な目標は、何となく持つのが生き方のコツ。不可能と思っても、無為になれば、為さざるは無し(できないことは無い)。

5. 嫌なことも、ありがたいと思えば卒業
嫌なことが来ないように祈るのはダメ。嫌なこと来い、もう嫌なことは無いという人生じゃないと。うんと嫌や奴に会うとか。ひどいことを早く経験した方が、後は極楽。嫌なこと、嫌な奴は貴重。嫌だと思っている間は消化していない。ありがたいと思えば卒業。

■感想
道は美しい音楽やおいしい食事のように、行き過ぎた人でもそのために戻ってくるような、分かりやすい華やかなものではなく、つい見過ごしてしまいそうな淡々とした素朴なものという説明に、なるほどなと思います。

無為であること、無私無欲で人為的にしないで流れをくんでやると、何もしていないように見えるけど、実は道の力でできないことは無いという老子の教えは、これから生きていく上でずっと覚えておこうと思います。

窈窕会の始まった2007年9月頃の自分のブログの文章を読むと、ちょうどシティバンクに入社して1年が経過し、仕事も増えて、私はそのことに随分苦しんでいたようでした。会社で認められることは、分かりやすい華やかなことかと思いますが、私が望んでいたのはそれよりも、自分の人生を自分の望むように淡々と素朴に、どうということなく生きることであったように思います。

「石の上にも3年」と言いますが、早いものでシティバンクに入社してもうすぐ3年になります。嫌なことは、来ないように願ってもムダなことで、わーわーした徼の世界も、存在するんだから、そこで人がどのように行動しているか、ちゃんと見ておけと道に言われているような気がします。ずっとこの世界にいなくてもいいかもしれませんが、美しい妙の世界も、混沌と喧騒の徼の世界も、両方知って「AもあればBもある」といった多様性を受容できる人間になる方が確かにいいように思います。

一方で自分がやりたいと思うこと、自分のテーマはいつもぼんやり素朴に持って、長く思い続けて少しづつ行動しようと思いました。

論徳第三十八

上徳不徳、是以有徳。下徳不失徳、是以無徳。上徳無爲而無以爲。下徳爲之而有以爲。上仁爲之而無以爲。上義爲之而有以爲。上禮爲之而莫之應、則攘臂而扔之。故失道而後徳、失徳而後仁、失仁而後義、失義而後禮。夫禮者、忠信之薄、而亂之首。前識者、道之華、而愚之始。是以大丈夫處其厚不居其薄、處其實不居其華。故去彼取此。
---------------------------------------------------------
上徳(じょうとく)は徳とせず、ここをもって徳あり。下徳(かとく)は徳を失はざらんとす、ここをもって徳なし。上徳は無為(むい)にして、もって爲せりとする無し。下徳はこれをなして、もって爲せりとするあり。上仁(じょうじん)はこれをなして、もって爲せりとする無し。上義(じょうぎ)はこれをなして、もって爲せりとするあり。上礼(じょうれい)はこれをなして、これに応ずるなければ、すなわち臂(ひじ)を攘(ひ)いてこれに扔(よ)らしむ。故に道を失いてのち徳、徳を失いてのち仁(じん)、仁を失いてのち義、義を失いてのち礼(れい)あり。それ礼は忠信の薄(はく)にして乱の首(はじめ)なり。前識者は、道の華(か)にして、愚の始なり。ここをもって大丈夫は、その厚に処(お)りてその薄きに居らず。その実に処(お)りて、その華に居(お)らず。故にかれを去(さ)りてこれを取(と)る。
---------------------------------------------------------

徳→仁→義→礼の順番が人間の順番。処世訓、仁を最高とする儒教を、道家が批判している章でもある。

上徳(いちばん徳のある、りっぱな人)は、自分が徳があるとは思っていない。下徳の人は徳を失わないようにしているから、徳は無い。上徳の人は、無為だから、何とかしれやろいうということは無い。下徳の人は「やってやろう」というわざとらしい感じ。上仁は何かして、有為でやるけど、わざとらしいということは無い。上義はやったら、「やった、やった」とわざとらしい。上礼は何かして、徳のある振る舞いをしたのに、誰も徳があると言ってくれなければ、「何で」と押し付けがましい。

信じられることが薄いと礼が言われる。情報を人より早く得ている、評論家みたいな人はあだ華で、愚かの始め。大丈夫は徳が厚く、実質的で、あだ華には居ない。だから礼や知を去って、道を取る。

▼ 理想的なチームにはルールは無い。就業規則無いと守らないとかは、嘆かわしい状況。プロの世界は決まりが無い。気が読める、心が読めるのがプロで、玄人。会社は規則づくめになっている。

▼ 「心に欲するところに従えども則を越えず」が立派な人間。

▼ 朝礼を止めたいという会社が多いというが、非礼・無礼でいいのか。「天道健やかなり」と言って、天の働きは健やかで秩序立っている。夜が来て朝が来て、新鮮さを取り戻す。その運行に学ぶ精神を礼という。

挨拶はなぜ必要か。点呼は、人員がそろっているか確かめること。挨拶は、「私生きています」という宣言。

爲政第三十七

道常無爲而無不爲。侯王若能守之、萬物將自化。化而欲作、吾將鎭之以無名之樸。無名之朴、亦將不欲。不欲以靜、天下將自定。
---------------------------------------------------------
道は常に無為なれども、而(しか)も爲(な)さざる無し。侯王もしよくこれを守らば、万物まさにおのずから化せんとす。化して欲作(おこ)らば、われまさにこれを鎮(しず)むるに無名の朴(ぼく)をもってせんとす。無名の朴もてせば、またまさに欲せざらん。欲せずしてもって静かなれば、天下まさにおのずから定(さだ)まらんとす。
---------------------------------------------------------

無私無欲で人為的にしないで流れをくんでやると、道は何もしていないように見えるけど、為さざるは無し(できないことは無い)。これは老荘思想、老子のすごいところ。道のありようは、「無為」を守れば、全て自らいい方向に行く。

物事が発展すると、「もっと良くしよう」と欲が起きるけど、その欲にブレーキをかけるには、最初を思い出す(朴:山から切りたての材木、切り出したての木)。自分がポジションについていたとしても、最初からそうだったか自問する。最初はただひたすら下っ端で働いていた新人だった、そのことを思えば、ここまで来たことを十分と思う。

冷静になればなるほど世の中の流れが分かるから、いろんなことが定まってゆく。
冷静に見る。恵まれない時とか、よくない時を思って変な欲は鎮める。そうすると、これでいいじゃないかと思える。大病してもうかえって来れないと感じた時があれば、生きているだけで100点と思う。

▼ リラックスしているときにいちばん力が出る。野球で打つときもそう。

▼ 自分の人生のテーマはいつも持っていて、すぐやろうと思わない。長期的な目標は、何となく持つのが生き方のコツ。不可能と思っても、無為になれば、為さざるは無し(できないことは無い)。

▼ この世のものは全て生成化育している。あなたが手を下さなくても、そうなる。ほっといた方がいいことが多い。

変化はこの世の必然。世の中は猛烈に動いている。それをどう利用するか、動いている方向へ、方向へと行く。資本主義がどうかと思えば東洋思想に向くとか、その変化をピックアップする。

▼ 意欲も欲望だから、否定はしないけど、ブレーキは必要。

▼ 面白いものは難しい。難しいものが面白い。だから難しいを楽しむ。いきなり楽しむのは難しいから、日常の訓練が大切。エベレストに登ろうと思って富士山に登れば簡単。大きな目標を持つ。富士山が目標なら、富士山に登るのは大変。

自分に向いた気の持ち様を発見するのが生きるコツ。だんだん楽に、面白くなるように訓練する。仕事の訓練ではなく、生き方の訓練。江戸時代は生き方を教えていたからすごい。

嫌なことが来ないように祈るのはダメ。嫌なこと来い、もう嫌なことは無いという人生じゃないと。うんと嫌や奴に会うとか。ひどいことを早く経験した方が、後は極楽。嫌なこと、嫌な奴は貴重。嫌だと思っている間は消化していない。ありがたいと思えば卒業。

« 2009年5月 | トップページ | 2009年7月 »