「生物と無生物の間」 講談社現代新書 福岡伸一著
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死んだ鳥症候群。私たち研究者の間で昔からいい伝えられているある主の致死的な病の名称である。
私たちは輝くような希望と溢れるような全能感に満たされてスタートを切る。見るもの聞くものすべてが鋭い興味を掻きたて、一つの結果が次の疑問を呼び覚ます。私たちは世界の誰よりも実験の結果を早く知りたいがため、幾晩でも寝ずに仕事をすることをまったく厭うことがない。経験を積めば積むほど仕事に長けてくる。何をどうすればうまくことが運ぶのかがわかるようになり、どこに力を入れればよいのか、どのように優先順位をつければよいのかが見えてくる。するとますます仕事が能率よく進むようになる。何をやってもそつなくこなすことができる。そこまではよいのだ。
しかしやがて、最も長けてくるのは、いかに仕事を精力的に行っているかを世間に示すすべである。仕事は円熟期を迎える。皆が賞賛を惜しまない。鳥は実に優雅に羽ばたいているように見える。しかしそのとき、鳥はすでに死んでいるのだ。鳥の中で情熱はすっかり燃え尽きているのである。
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肉体というものについて、私たちは自らの感覚として、外界と隔てられた個物としての実体があるように感じている。しかし、分子のレベルではその実感はまったく担保されていない。私たち生命体は、たまたまそこに密度が高まっている分子のゆるい「淀み」でしかない。しかも、それは高速で入れ替わっている。この流れ自体が「生きている」ということであり、常に分子を外部から与えないと、出て行く分子との収支が合わなくなる。
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生命とは代謝の持続的変化であり、この変化こそが生命の真の姿である。
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秩序は守られるために絶え間なく壊されなければならない。
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エントロピー増大の法則に抗う唯一の方法は、システムの耐久性と構造を強化することではなく、むしろその仕組み自体を流れの中に置くことなのである。つまり流れこそが、生物の内部に必然的に発生するエントロピーを排出する機能を担っていることになるのだ。
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遺伝子ノックアウト実験は、個体に何の異常も起こらないものが多々ある一方で、誕生を迎えないまま胚がその分化を止めてしまうような致死的なケースも多数あった。致死的なノックアウト実験が示すことは、その遺伝子が、発生上欠くことのできない重要なピースであることだけである。それがどのように必要とされるのかわからないままプログラムは閉ざされてしまうのである。
このような致命的な欠落ではなく、その欠落に対してバックアップやバイパスが可能な場合、動的平衡系は何とか埋め合わせをしてシステムを最適化する応答性と可変性を持っている。それが"動的な"平衡の特性でもある。これは生命現象が時に示す寛容さあるいは許容性といってもよい。平衡はあらゆる部分で常に分解と合成を繰り返しながら、状況に順応するだけの滑らかさとやわらかさを発揮するのだ。
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生命という名の動的な平衡は、それ自体、いずれの瞬間でも危ういまでのバランスをとりつつ、同時に時間軸の上を一方向にたどりながら折りたたまれている。それが動的な平衡の謂いである。それは決して逆戻りのできない営みであり、同時に、どの瞬間もすでに完成された仕組みなのである。
これを乱すような操作的な介入を行えば、動的平衡は取り返しのつかないダメージを受ける。もし平衡状態が表向き、大きく変化しないように見えても、それはこの動的な仕組みが滑らかで、やわらかいがゆえに、操作を一時的に吸収したからにすぎない。そこでは何かが変形され、何かが損なわれている。生命と環境との相互作用が一回限りの折り紙であるという意味からは、介入が、この一回性の運動を異なる岐路へ導いたことに変わりはない。
私たちは、自然の流れに跪く以外に、そして生命のありようをただ記述すること以外に、なすすべはないのである。それは実のところ、あの少年の日々からすでにずっと自明のことだったのだ。
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