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2009年4月 4日 (土)

「会社に人生を預けるな」 光文社新書 勝間和代著 2

薔薇棘のメーリングリストで勝間さんがこの本をメンバーには献本してくれるというので、ご本人に「ぜひ下さい」とメールを送ったところ、その2~3日後に出版社から送られてきた。「忙しい人は仕事が速い」とよく母が言っていたが本当だと思った。

私自身は2度の転職の末、人生を預けようにも預けようの無い外資系金融企業に漂流したため、会社に人生を預けることは、希望しても不可能な状況にある。制度や福利厚生面では今の会社はとてもいい会社だと思うが、雇用保証だけは、無いと考えておくのがやはり妥当だと思う。

私は特に上昇志向も無く、報酬面での欲も大して無いが、報酬の市場性については20代の後半くらいで気がついた。それ以来、提供する労働に対して不当に安く使われることは嫌だとは考えるようになった。つまり私が提供する労働を高い値段で評価してくれる、条件の良い会社で働く方が良いという考え方だったため、今の場所に流れ着いたのはその意味では当然だったかもしれない。

日本企業の報酬水準は市場ではなく、年次で決まる。だから新卒採用で企業に入り、黙って人並みの(要するに年功序列的な)昇格・昇給を繰り返していると20代後半頃から30代にかけて、提供できる労働の価値が報酬を上回る時期が構造的に存在する。

これは不公平な話なんで、気がついたら会社に猛烈に文句を言って給料を上げさせるか、もしくは転職をするか、何らかの手段で意識的に調整する方向で動いた方が健全だ。・・・と考える私は真っ向から終身雇用が前提とする年功序列の考え方に反抗的なようだが、まあその通りで、報酬は年功序列ではなく、基本的には、仕事の内容と市場の水準で決まるべきものと考えている。

私は外資金融に転職して納得のいく報酬の代わりに雇用保証を失ったとは思うが、外資系企業には流動性のある人材市場があり、ノウハウを持ったエージェント(ヘッドハンターとか)も存在する。個人的にも、2度の転職の経験でひとつのドアを閉めると次のドアが開くことを知った。だから雇用保証が無いことを私はそれほどマイナスには考えておらず、現実の企業の栄枯盛衰サイクルのスピードを目の当たりにして、会社に雇用保証をどれだけ求めるかは個人の選択も問題もある程度はあるとは思うが、あんまし保証が無かったとしても、それは会社が無責任ということではなく、時代の必然ではないかと感じている。

この本が指摘しているのは、私も身を持って感じている経済環境の変化の早さと終身雇用という静的な日本の雇用慣行のギャップが日本社会に生み出している弊害で、確かに、経済状況がどのように悪化しようと、今の日本の法律では、事実上、会社は社員を解雇することはできない。

リストラとかいっぱいやってるじゃんと思うんだけど、あれは解雇ではなく、大抵の日本企業がやっているのは早期退職制度で、社員の自発的な早期退職の希望に基づいている(少なくとも、そういうことになっている)。外資系企業がやっているのも多分大半はアウトプレースメントのオファー(不況で社内には仕事が無いので、社外で仕事を探してくれという打診)であって、あくまでも対象者の同意を前提としているから、一方的に解雇しているのではない。

企業にとって合法的にできるのは派遣社員とか、契約社員とかの非正規従業員の契約期間満了に伴う、いわゆる「雇い止め」による解雇だけで、それでさえ、社会問題とされ、その合法性が問われているケースもある。

この現状に、「終身雇用制の緩和、正規雇用と非正規雇用の均等待遇、総労働時間規制の三つをセットで、国が行え」というのが著者の主張で、確かに今の正規・非正規雇用者の待遇の差には、公平さを欠くものがあり、かといって経営者の視点から見たときに、経済状況の変化に応じた労働者数の調整が現実的には必要であれば、終身雇用という慣行を考え直さざるを得ない。

ここで著者が提案しているのは、国と企業と個人の間でリスクをもっと分散しましょうということでもあると思う。終身雇用制度は、若い間は上がりにくい賃金や長時間労働など、個人にとってのリスクもあるが、雇用の継続だけは保証されている。だから不況になっても正規雇用社員の人員削減はできないというリスクは、企業が丸抱えしている。一方、非正規雇用の人たちは、雇用の継続が保証されず、個人が経済変動のによる雇用喪失のリスクをひとりで負う形になっており、バランスが悪い。

さらに総労働時間規制も視野に入れ、一人当たりの総労働時間規制を決めることによって、雇用される機会のある労働者の人数を増やすとともに、ワークライフを推進するというのが著者の考えで、総労働時間規制については私ももっと知りたいと思った。

「お上はかなりテキトー」、「大企業の経営者は、残念ながら、大半はめまいがするくらい凡庸です」の率直な指摘には爆笑。でも何事も、お上や上司に任せてしまうのではなく、最終的には自分で考えて判断する習慣を持つ必要があることは同感。

「会社に人生を預けるな」 光文社新書 勝間和代著

(p26-27)
日本では判例上、人材を正社員として一度雇ってしまうと、解雇については次の四つの要件を満たすことが求められており、事業を撤退する、あるいは事業のパフォーマンスが悪いからといった理由ではなかなか解雇できません。

【整理解雇の四要件】
1.人員削減の必要性があること
会社が経営危機に陥っていて、人員整理の必要性があること。

2.解雇回避の努力を行っていること
整理解雇をするまでに、新規採用の中止、希望退職者の募集、配置転換・出向など、解雇を回避するための努力をしていること。

3.視営利基準と人選に合理性があること
整理解雇の対象者の選定基準が、客観的かつ合理的であり、また具体的適用も公平であること。

4.解雇手続きに妥当性があること
整理解雇対象者や労働組合に対して、整理解雇の必要性やその内容(時期・規模・方法など)について十分に説明し、相手の納得を得られるよう、誠意をもって協議していること。

(p51-52)
・・・特に大維持世界大戦後の高度成長期、企業側が社員を解雇しようとした時、プロローグで触れたような整理解雇の四要件(業績の悪化、回避努力、人選の合理性、手続きの合理性)を盾に企業側が裁判で負け続けたのです。
 そのため、日本の多くの企業が整理解雇を可能な限り避けるようになり、業績が悪くなっても正規雇用者はなるべく退職させないという制度が定着していきました。
 さらに、裁判で企業側が負け続けたため、本当は正当な手続きで解雇ができる可能性があったにもかかわらず、企業側がさらに訴訟で負けるリスクを恐れ、解雇という手段を取らなくなっていったという背景があります。そして、現在のように、なるべくギリギリの正社員で仕事を回しながら、非正規雇用でバランスを取るという労働形態が一般的になったのです。

(p66)
(企業が判例などを理由に終身雇用をあえて崩さなかった)
 その結果、雇用の流動性が著しく制限され、特に、こうした男性の働き過ぎ、女性の仕事のなさ、最近では中高年の働き過ぎ、若年層の仕事のなさ、という不均衡な状態が生まれているのです。

(p66)
私はよく、「外資系の給料はなぜ高いのか」という質問を受けます。その答えは単純で、多くの外資系企業では日本の終身雇用制にあたるものがないためです。すると、雇用の流動性がある職場になるので、まず「できる」人には高い給料をあげないとすぐに出ていってしまうということになります。これは逆にいえば、「できない人」をどんどん整理解雇するか、整理解雇しないまでも給料を切り下げたり、あるいはパフォーマンスの改善を要求できるということになります。
 一方、日本の多くの企業に見られる、簡単には人を解雇できない制度の中では、「できる人」もどうせ出ていかないから給料なんて安くていいということになり、「できない人」も食べさせなければいけないために、できる人の給料を上げることは合理的ではなくなります。したがって両者を比較した場合、どちらの給料が高くなるかは自明でしょう。

(p82 - summary)
「日本では高年齢の男性しか活躍しづらく、しかも、その男性たちも疲弊している」という悪循環を断ち切るためには、終身雇用制のみなおしが必要。政府も対策として正規と非正規の待遇格差をなくそうとして現在では主に非正規の待遇を改善しようとしているが、それだけでは流動性を確保するには足りない。正規と非正規の雇用格差をなくすと同時に、正社員に対する規制も緩和し、企業にとって整理解雇をもっとしやすくする方法が必要。日本の閉塞感を打破するためのティッピング・ポイントはここにある。
 さらに、総労働時間規制も視野に入れなければならない。一人当たりの総労働時間規制を決めることによって、雇用される機会のある労働者の人数が増える。

(p142-143)
お上はテキトーだ
・・・大企業の経営者は、残念ながら、大半はめまいがするくらい凡庸です。

(自分の意見を持たない会社経営者のエピソードの後)つまり、自力で判断し、物事を作りあげるという習慣がないのです。
 それが少数派だったら私も驚かなかったのですが、大多数の組織では、実はそのような決まり方で物事が進んでいきます。すなわち、「お上」はかなりテキトーだし、たいした実力もないのです。

(p147)
(日本では世襲の首相が続き、受けられる教育は親の所得層で決まってしまう)
日本は資本主義社会ではありますが、所得の再配分や格差の是正において、決して民主的ではありません。

(p167)
(現代は自分の勤める会社がいつ潰れてもおかしくない時代。世の中のスピードやビジネスモデルの変化が速いが、企業はその変化に対応できない。)
・・・本来なら個人や国家が背負うべきリスクを日本の場合は企業が抱えている、つまり企業が過大なリスクを背負わされているがゆえに、身動きがとれずになかなか変われないということもいえると思います。
 しかし、日本の場合、企業が従業員を簡単にクビにすると、企業側が責められることが多々あります。・・・
 つまり、従業員もリスクを取らない、国家もリスクを取らない、企業はリスクを丸抱えしたままという構造になると、企業はもう身動きが取れなくなるのです。ですから、日本の企業の社長というのは、気の毒といえばとても気の毒な存在なのです。

(p168-169 summary)
企業がリスクを取らずに従業員を管理できる仕組みが非正規雇用だったが、リスクマネジメントの仕組みが従業員にも企業にも国家にも存在しなかったために、ワーキング・プアが大量に発生した。

(p172)
 私は終身雇用制の緩和、正規雇用と非正規雇用の均等待遇、総労働時間規制の三つはセットで行わなければならないと思っているのですが、それを行えるのは国のリーダーです。

(p178)
 (リスク管理の教育について)たとえばアメリカの場合、仏教でいうところの因果応報や、他人に対してなぜ貢献しなければならいのかとか、将来の可能性において、これこれこういうリスクが考えられうるわけだから、こういう行動を慎みなさいとか、彼らはモラル教育を、教会を中心とした教育と学校教育、家庭教育で徹底的に受けて育ちます。これはリスクマネジメントという観点から見た場合、非常に優れたシステムです。

(p197)
私たちがリスクをよりよく学び、管理するためには、個人においては源泉徴収・年末調整の見直し、国においては道州制の導入、企業においては終身雇用制の緩和が必要だと考えています。この三つがもし確実に実現すれば、私たちの考え方にしても、そして将来の日本人の動きについても、明治維新に近いくらいのインパクトが生まれると私は思っています。

(p212)
小泉内閣が行ったことというのは、それまで政府と企業が取っていたリスクを個人に押し付けたということです。その最大の被害者が、今、数多く存在する20~30代の非正規雇用者だと思います。

(p216)
 新卒一括採用・終身雇用制の仕組みは、社会の流動性を極端に妨げ、貴重な人的資源の再配分を妨げ、若年層の雇用を妨げ、ワーク・ライフ・バランスを妨げ、少子化の遠因となり、文字通り、私たちの幸せ・発展への「ボトルネック」になってしまっていると、強く、強く感じるのです。

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