仁徳第三十五
執大象、天下往。往而不害、安平太。樂與餌、過客止。道之出口、淡乎其無味。視之不足見。聽之不足聞。用之不足既。
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大象(だいしょう)を執(と)りて、天下に往(ゆ)く。往きて害せず、安平太(あんぺいたい)なり。楽(がく)と餌(じ)とは、過客(かかく)止まる。道の口より出(い)ずるは、淡としてそれ味なし。これを視(み)れども見るに足らず。これを聴(き)けども聞くに足らず。これを用うれども既(つく)すべからず。
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道とすっかり表裏一体になって人生を行けば、どういう所へ行っても危害を与えられることがない。
大胆不敵は、危険極まりない、こわいこと。細心に、臆病に生きる。「与(よ)として冬川を渉(わた)るがごとく、猶(ゆう)として四隣(しりん)を畏(おそ)るるがごとし」と言うように、氷の張った冬の川を、片足で氷をたたいて確かめながら、疑い深くわたってゆくような慎重さと、周りを恐れ、何が飛び出してくるか分からないとびくびくするような用心深さが必要。そうすると危害を被らない。
数日必要なものしか持たないから、盗られるものもないから、心の負担が無い(=安平太・あんぺいたい)。ただ平穏無事じゃなくて、心の不安が無い。財産は生命を傷つける。誰かにとられるんじゃないかとか、心配しないといけなくなる。
美しい音楽やおいしい食事には行き過ぎた人も戻ってくる。でも「道」は音楽や食事のようにおいしかったり、美しく聞こえたりはしない。道は淡々としたもの。でも実は、淡い味は一番の美味。道を用いれば無限。
▼ 素人は大胆不敵。玄人は何でも慎重。例えばシェルパとか。何が危険か良く知っている。
▼ 一杯目のお茶には、甘み、二杯目は苦味、三杯目は渋み、四杯目は淡として味なしだが、実は甘いも苦いも渋いも感じられる。人も同じ。淡として味なしには実はいろいろな味がある。それが気がつけるのは幸せ。水のおいしさとか。
▼ ほどほどが最上と知る。うんといいと悪い方にも行くから、中庸を心がける。


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