2008年9月23日 (火)

セルフトーク・マネジメントのすすめ 鈴木義幸著

■「許せない」から「何があったんだろう?」へ
著者がコーチングをしていたある事業部長は、期限を守らない部下を前にすると、「許せない」という内側のセリフがスイッチになり、怒りの大爆発を起こしていた。このセルフトークを、「何があったんだろう?」に変えたところ、大爆発が起こらなくなった。

■自分のためではなく、相手のために何ができるか考える
ボストンフィルハーモニー常任指揮者のザンダーは、コンサートに招待したのに遊びに行ってしまった音楽学校の生徒に怒っていたが、妻から「リーダーはいつも試される。リーダーは3つの選択肢の狭間で揺れている。一つ目は相手を説き伏せてしまうこと、二つ目は妥協することで、大抵のリーダーは一つ目か二つ目しかやらない。三つ目の選択肢は相手の可能性を拓くことで、これを常に選択し続けるリーダーは大きな成功を手にしている」と言われた。

後日ザンダーは、コンサートに招待した意味や意義を事前に説明しなかったことを生徒たちに謝罪し、今後は事前に説明するようにすると話した。その後生徒たちは招待されたコンサートには必ず出席するようになった。

どうすれば相手の可能性を拓くことができるのか考えることは自分の可能性を拓くことにも通じる。

■セルフトークのマネジメント
セルフトークは、感情的なものから理性・思考的なものに変えて使うか、ネガティブな(感情的な)ものであれば減らし、なくすことでマネージする。ネガティブなセルフトークが無くなると、「ゾーン」と呼ばれる完全に集中した状態になれる。

■セルフトークを変えるには
「この会議を建設的なものにするために、何ができるだろう」のようなセルフトークは、自分はクリエイターであり環境に働きかけてゆくことができるというスタンスを生む。

「この人が生まれたときに、にっこり笑った両親がいる」と感じられると相手が自分を悩ませる単純な人間ではなく、重層的な人として現れる。

「この人はなぜこんな態度をとっているのか?」と相手の背景を探る。

視点を変える。自分の能力が高くなれば、エベレストのように大きく感じていた問題も、近くの丘くらいに感じられるようになる。

■自分の「アイデンティティ」に固執しない
アイデンティティとは場に応じて変えてもいい「役割」という認識を持って固執しない方がネガティブなセルフトークが発生しない。

あまりこだわると少しでも部下に反対されると激昂してしまったり、ささいなミスで自分を追い込むことになる。

アイデンティティはまとうものであり、自分と他人の間に立ち現れてくる相対的なものにすぎない、刺激をを受けたとしても、決して内側にある「本当の自分」が傷つくわけではない、と考える。

2008年9月22日 (月)

2008年9月 天成塾・窈窕会合同勉強会感想

■とても興味深く、役立ったこと
1. 用いようとする人やものをよく見て理解するのが達人のやり方
用いようとする人やものをよく見て理解すれば無理強いが無い。状況にあわせて自然の流れに乗る。会議、会社、社会には流れがあるから利用する。それだと軽くやっても最大の効果が出る。達人のやり方。これからやろうとすることの特質を見る。人を使うならその人の個性を見る。そうすると上手く動くようになる。

2. 直観力(要妙・ようみょう)を磨く
自分の思惑で動かそうとしてもダメで、今の状況に自分の思惑をどう乗せるか。観察眼があると分かる。

3. 無になって見るとゴールもプロセスも見える
自分の思惑があると対象が見えない。人も仕事も無になって見るとゴールもプロセスも見える。こざかしい智恵(=明)を持つと上手く行かない。だから、こざかしい智恵は覆いかぶせてしまえ(=襲明・しゅうめい)。

4. 社会・世間とは何か、人とはどんなものかに精通させるのがプロを育てること
プロとは玄人のことで、くらいところが見えること。普通の人では見えないことが見えるようにならないとダメ。今の会社はそういう能力を高める研修とか指導をしない。江戸時代には、社会を知る、世間とは何か、人とはどんなものか、に精通させていた。

5. 必須能力を上げて絶対自由の境地に近づく
年をとればとるほど、絶対自由の境地に近づいて便利にならないと。環境がそうなるのではない。自分がそうなる。でも今の日本のような人の扱いではダメ。人生の達人にならないと。職業は愉快になる手段で、自分を不自由から自由にする手段。偉くなるとかではない。世の中の真理をはかる手段としてやる。仕事もスポーツも同じで、楽しくないと成果が上がらない。ただし楽しくしたり成果を上げるには、まず必須能力を上げないと。勝てると面白くなる。鬼コーチの夏合宿があると能力が上がる。有無を言わせず厳しく鬼コーチが基礎を授ける。基礎が無いままの部下を叱っても成果は上がらない。でも本当は鬼コーチ頼みではなく、自分でやらないと。

6. 命は支えあっている
人間の社会は「生き抜く」こと。人の命は他の命に支えられている。人はひとりになると生命の危機を感じる。仕事を一緒にする人たちは生命を支えあっている。仕事の話をしに来ることは、その人の命が来ること。命は自己主張をするとき喜ぶ。

7. いいことも悪いこともあることを前提とする
俗世間ではみんないいことが続くことを願うけど、そんなことあり得ない。一歩引いてみると、いいことも悪いこともある方が人生が楽しめる。両方あることを知り、悪いと思っている方を前提として、「このていどならいいか」と暮らさないと。嫌なことを嫌だと言うほど偏りのある人生に。この世は両方ある。

7. 「今ここで」が一番重要
生きているだけで100点。生命を維持しているだけで、誰かの助けになっている。そのときそのときに一番恵まれた状態にいると思って感謝する。人間には必然があって、一番いいことが起こる。そう思うのは心の状態。「今ここで」が一番重要。それを、「あそこに行けば」、「明日になれば」とか思うのは下手な生き方。今一点に集中すると時間が止まるように見えてくる。

■感想
仕事を、偉くなるためにやっているとすると、私などは「別に偉くならなくても困りませんけど」と速攻口答えをしたくなり、人の上に立ってもっとお給料をもらうことに本当にそれほど興味が持てないので、自分としても行き詰りますが、一緒に仕事をする人と命を支えあいながら、絶対自由の境地に近づいてもっと自由に生きるため、世の中の真理をはかる手段としてやるとすると、全く違った視点が開ける気がします。

そうだとすると、効率良く・早く何かをしようとか、いつまでにとか、やり方に固執するよりは、一緒にやる人の反応とか、流れを見た方がいいだろいうという感じがして、物事が一見無駄とも思われるような紆余曲折を経てしか進まないことにも、それなりにおつきあいしてみたり、見守ることができるような気がします。

2008年9月15日 (月)

反朴第二十八

知其雄、守其雌、爲天下谿。爲天下谿、常徳不離、復歸於嬰兒。知其白、守其黒、爲天下式。爲天下式、常徳不忒、復歸於無極。知其榮、守其辱、爲天下谷。爲天下谷、常徳乃足、復歸於樸。樸散則爲器。聖人用之、則爲官長。故大制不割。
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その雄を知りて、その雌を守れば、天下の谿(たに)となる。天下の谿となれば、常徳(じょうとく)離れずして、嬰児(えいじ)に復帰す。その白きを知りて、その黒きを守れば、天下の式となる。天下の式となれば、常徳忒(あらた)まらずして、無極に復帰す。その栄を知りて、その辱を守れば、天下の谷(たに)となる。天下の谷となれば、常徳すなわち足りて、樸(ぼく)に復帰す。樸散(さん)ずればすなわち器となる。聖人これを用うれば、すなわち官長となす。故に大制は割(さ)かざるなり。
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俗世間ではみんないいことが続くことを願うけど、そんなことあり得ない。一歩引いてみると、いいことも悪いこともある方が人生が楽しめる。両方あることを知り、悪いと思っている方を前提として、「このていどならいいか」と暮らさないと。嫌なことを嫌だと言うほど偏りのある人生に。この世は両方ある。

最初から社長、天才なら後は下るしかない。だんだん上がってゆくのがいちばんいい。俗世間でいいことをいいことと思っているのはたいがいに。

「いいことは来い、悪いことは向こうへ」、「いいこともあれば、悪いこともある」とかも思わない方がいい。嬰児(えいじ)、無極(=道に戻ること)、樸(ぼく=切り出したままの木)に戻れということは、何の思惑も無い無心に帰れということ。

生きているだけで100点。生命を維持しているだけで、誰かの助けになっている。そのときそのときに一番恵まれた状態にいると思って感謝する。人間には必然があって、一番いいことが起こる。そう思うのは心の状態。

「今ここで」が一番重要。それを、「あそこに行けば」、「明日になれば」とか思うのは下手な生き方。今一点に集中すると時間が止まるように見えてくる。

▼ 「樸散(さん)ずればすなわち器となる」は、切り出したままの木を割って器にするという意味で、器になった木の飾りや技巧をよしとする文明の価値観。組織でも、人工的なものがいいと思っているけど、変に作らずに人間主体がいい。

▼ 「嬰児(えいじ)に復帰す」は赤ちゃんに戻るという意味で、純粋無垢の、感動する心を取り戻した方が、生き生き暮らせる。夜はずっと続くのではない。寝て起きると朝になっていて、新鮮さを供給されている。感動くらい楽しいことはない。

▼ 「大制は割(さ)かざるなり」は、偉大な制は分割しないということ。白黒とか善悪とかを分割しない。

2008年9月14日 (日)

巧用第二十七

善行無轍迹。善言無瑕讁。善計不用籌策。善閉無關楗、而不可開。善結無繩約、而不可解。是以聖人、常善救人。故無棄人。常善救物。故無棄物。是謂襲明。故善人者、不善人之師。不善人者、善人之資。不貴其師、不愛其資。雖智大迷。是謂要妙。
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善(よ)く行くものには轍迹(てっせき)なく、善く言うものは瑕讁(かたく)なし。善く計るものは籌索(ちゅうさく)を用いず、善く閉ざすものは関楗(かんけん)なくして開くべからず、善く結ぶものは縄約(じょうやく)なくして解くべからず。ここをもって聖人は常に善く人を救ふ、故に棄人なし。常に善く物を救ふ、故に棄物なし。これを襲明(しゅうめい)と謂う。故に善人は、不善人(ふぜんにん)の師、不善人は善人の資なり。その師を貴ばず、その資を愛せざれば、智なりといえども大いに迷う。これを要妙(ようみょう)と謂(い)う。
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ものごとは、ことさらこれだといってやる必要は無い。押さえつけて、断じてやれというのではない。力づくは長続きしない。やってんのかやってないのか分からない、人為的でないのがいい。

用いようとする人やものをよく見て理解すれば無理強いが無い。状況にあわせて自然の流れに乗る。会議、会社、社会には流れがあるから利用する。それだと軽くやっても最大の効果が出る。達人のやり方。これからやろうとすることの特質を見る。人を使うならその人の個性を見る。そうすると上手く動くようになる。自分の勝手で「こなるといい」と強引にもってゆくのはまずいやり方。前に座れ、これから言うことを聞けというのは最悪。冗談みたいに言って、後から気づかせるとか。

一級の大工とか調理人は計らない。手の感覚が性格な定規だから。人間は自分の身体の中に定規を持つ。「正」という漢字は、「この線で止まれ」と書く。初心者には線が必要だけど、だんだん慣れてくると身体の中に定規が持てるようになって、ダンスでも踊れるようになる。

がっちり鍵をかけても、やぶられるときはあるから、開けられてもいいようにする。約束でも、「あの人とは守らなきゃ」と思わせる。勘どころを知っていると約束も守られる。

それが分かるのは、自分の中に定規があって、人間とはどういうものかを知っているから。ずーっと無いような顔をしていて、ぱっと出すのがいいとか。「秘すれば花」とか。

観察眼があると分かる。自分の思惑で動かそうとしてもダメで、今の状況に自分の思惑をどう乗せるか。直観力(要妙・ようみょう)を磨く。

極めた人にしかわからないもの(=要妙)がある。人を全部見抜くから、上手く人を使う。見通している。だから人を活かして使う(=人を救う)。人の大成する道が分かる。

自分の思惑があると対象が見えない。人も仕事も無になって見るとゴールもプロセスも見える。こざかしい智恵(=明)を持つと上手く行かない。だから、こざかしい智恵は覆いかぶせてしまえ(=襲明・しゅうめい)。

人間には体全体に能力がある。皮膚感覚や、空気の流れを感じることはすごい能力。頭で考えるだけじゃない。悪い奴は面白い。嫌なこともちょっと乗って味わってみる。そうするとみんな楽しい。

▼ 昔の日本は「年季」で弟子入りをして、身を預けて奉公した。弟子を取る方も、あそこで3年我慢すれば一人前の大工になれるという評判なら、弟子入りが増えたから、人を育てた。今の日本の会社はアメリカ式に能力を売りに行く場なのか、育てる場なのか中途半端で、プロを育てる場所になっていない。プロとは玄人のことで、くらいところが見えること。普通の人では見えないことが見えるようにならないとダメ。今の会社はそういう能力を高める研修とか指導をしない。江戸時代には、社会を知る、世間とは何か、人とはどんなものか、に精通させていた。

▼ 戦国時代に、他の武将が組織優先の考え方(組織で必要な能力を持つ人だけを採用する)をしていた中、秀吉は人優先の考え方をしていた。例えば、土木が得意な人なら土木部長にする。弓とか剣とかできなくてもいい。当時の人は農民じゃなきゃ土方だった。このように採用された人たちが墨俣の一夜城や石垣山一夜城を築いた。暗~い人が面接に来たら、葬式部長にして取り立てた。

▼ 年をとればとるほど、絶対自由の境地に近づいて便利にならないと。環境がそうなるのではない。自分がそうなる。でも今の日本のような人の扱いではダメ。人生の達人にならないと。職業は愉快になる手段で、自分を不自由から自由にする手段。偉くなるとかではない。世の中の真理をはかる手段としてやる。仕事もスポーツも同じで、楽しくないと成果が上がらない。ただし楽しくしたり成果を上げるには、まず必須能力を上げないと。勝てると面白くなる。鬼コーチの夏合宿があると能力が上がる。有無を言わせず厳しく鬼コーチが基礎を授ける。基礎が無いままの部下を叱っても成果は上がらない。でも本当は自分でやらないと。

▼ 人間の社会は「生き抜く」こと。人の命は他の命に支えられている。人はひとりになると生命の危機を感じる。仕事を一緒にする人たちは生命を支えあっている。仕事の話をしに来ることは、その人の命が来ること。命は自己主張をするとき喜ぶ。

2008年8月11日 (月)

「本当の幸せと持続可能性を考える」連続講座 第四回メモ

講師: 向山塗料株式会社相談役 向山邦史氏
(枝廣淳子さんとの対談)

参照URL: 五風十雨農場(ごふうじゅううのうじょう)
http://www.eco-phoenix.com/Gofuujyuuu/index.html

向山塗料は山梨県甲府の会社で社員数17人。

以前は毎年2割成長、上場を目指していた。それだと社長の向山さんは社員の尻をたたかなければならないが、そうすると社員が辞めてしまう。辞められるとまた雇わないといけないので求人を出すことになり、新しく人が入ると教育をしなくてはならなくなり、社長は人事担当者のようになってしまった。

このようにもがいて1年半は最悪の状況だった。夜も眠れず、山を見るとどこで死ねるかと考えた。落ち込んでいて活発には動けなかった。どうやって回復したかは覚えていないが、少しづつ回復期に、人との出会いもあり、社員、会社、社会全体の幸せを考えたら、右肩上がりの成長からは離れていった。

海外のこどもは貧しくても幸せだが、日本は逆。「地球村通信」(http://www.chikyumura.org/about/communication/)でブータンのGNH(Gross National Happiness)を見て、見た瞬間にばちっと来た。経営と両立するか?とは思った。

1995年に前年比92%のマイナス成長の事業計画を始めた。大量生産、大量廃棄はダメと言っても、本当に止めている人はいなかった。それで売り上げを下げる計画を考えた。行動しないと、何かしないとと思ったが、倒産しないようにはしないとと思った。

経費を下げれば何とかなると考え、ISO14001を取得した。勉強して苦労して環境や社会を理解することができた。これによって、経費を使わないのは良いことと社員も腹に落ちた。現在は社員の提言で、クーラーも使っていない。営業車も燃料転換して天ぷら油の利用などを行っている。電気も全ての照明から糸を垂らし、独立してつけたり消したりできるようにして、必要なときに必要なだけつける。PDCAのサイクルがまわり、社員が自分で経費を下げるようになったために、あまり矛盾なく動いている。

最初にマイナス成長の事業計画の話をしたときには、社員はしらーっとし、メインバンクの支店長は血迷ったかと思ったと思う。ゆっくり教えてと言われ、長々話した。

発展する方が会社にとっては楽で、売り上げは、上げた方が楽。売り上げを減らせば社員は昇格させられないし、新入社員もとれない。減らすのは嫌なこと。

社員は最初、売り上げを下げる意味が分からなかった。会議でコンセンサスをつくるなど、説明はずっとして徐々に理解されるようになった。でも社員は売り上げを上げたがるし、ライバルが倒産すると売り上げが上がったり、上下しながら11億あった売り上げを8億まで下げた。でも利益は下がっておらず、ベースアップもすればボーナスも払っている。新卒で300万円くらいの給料を払っている。

日本人の12%は収入が200万円以下と言われる。非正規雇用は金儲け競争にはいいが、社会には良くないというのが向山さんの考えで、向山塗料の社員は全員正社員。

今は誰も会社を辞めなくなったので困っている。新しく人を入れる予定は無く、毎年1歳づつ平均年齢が上がってしまう。

売り上げを上げたり、新規開拓はしないが、お客さんへのサービスは徹底的にする。そのためには社員に満足してもらわないと。会社の自己実現は社員の自己実現。社員に実現したいことを書いてもらって社長がフィードバックするなどしている。

マイナス成長の事業計画にしたことで、取引をやめていった会社も3社はあった。いい会社(取引先)でシェアを増やすようにし、取引先を増やす必要は無いのだから、払いの悪い会社は切る。このため貸し倒れにひっかからなくなったことはメリット。

現在はマイナス成長から横ばいの計画にシフトした。

もうからないこと、バカなことをやっていると注目されて新聞社が来る。地元では環境に配慮した会社として有名になった。

マイナス成長のモデルはメリットだらけで、デメリットは考えつかないが、真似する人はいない。何より経営者が楽。山梨の経済は今、最悪だが向山さんの会社は売り上げを達成することができる。しかし確かに、マイナス成長モデルの会社にはISO14001のようなノウハウとか、総合力が必要とはなる。

向山さんの次の取り組みは会社で食料を作るというもの。自給自足会社を目指す。400坪の畑を社員専用農場とし、会社を週3日休みにして農作業を行うことを提案したところ、17人いる社員のうち3人しか賛成しなかったためこの計画は挫折したまま。それでも向山さんは今、農業・林業・畜産業の拠点となる「エコハウス」を作っている(http://5wind10rain.blogspot.com/2008/07/blog-post_22.html)。

エンゲル係数は低い方がいい。0になればお金はいらなくなる。ブータンの人は半日働いて半日遊んでいても貧しくない。ブータンは目標。

最近、経営者が向山さんの話を聞きたがるので、講演依頼は多い。高校や大学でも、のべ300回、2万人の人に話した。講演のたびに、「赤信号でエンジンを切るだけで燃費は1割違う」と話してはいるが、みんななかなかやらない。頭で理解することと行動には距離がある。どうやって伝えれば行動が変わるのか、自分は死ぬほど悩んで気づいたことだから、他人への伝え方は分からない。いい例はあるけど、「自分でやろう」とはまだならないギャップがある。

2008年8月10日 (日)

「本当の幸せと持続可能性を考える」連続講座 第二回メモ

講師: ダグラス・ラミス氏

■パラダイムシフト~「強制労働」
1933年と1968年では社会科学のパラダイムが変化していることが、両年に編纂された百科事典の記述の変化から分かる。

1933年の百科事典ではヨーロッパによる植民地制度と軍事力が動いている様子が記されており、植民地における「強制労働」という項目があるが、これは「お金をあげる」と言っても貨幣経済を持たない熱帯の国の人々は働かないから。森林や川や湖から欲しいものは取れるので、お金はいらず、朝から晩まで8~12時間働くという文化や、欲望を持たない。こういった人を働かせるためには、強制労働しかなかった。

植民地の最初のインフラは強制労働によってできた。強制労働とは一時的な奴隷状態のことで、以下2種類ある。

1. 直接的な強制労働:暴力・銃・鎖などによる強制。このため多くの人がアフリカで亡くなった。病気で死んだというが、おそらくウツで死んだのだろう。

2. 間接的な強制労働:例えば、地元住民に豊かな恵みを与える森林を伐採してしまい、さとうやゴムのプランテーションに変えてしまう。そうすると森からの恵みは受けられないのだから、プランテーションで働くしかない。

ところが、1968年の百科事典では「強制労働」という項目は無くなっている。索引を見ると、わずかにヨーロッパの中世とソ連の項目でこのことばが使われているのみで、1930年代にまだ強制労働が行われていたとはどこにも書いていない。

■発展経済学
これは第二次世界大戦後に、発展経済学が盛り上がり、強制労働について、「熱帯の人たちはヨーロッパの文化に触れて同じものが欲しくなった」という別の物語が生まれたため。強制労働の事実は、大学で発展経済学を勉強しても習わないから学生は知らない。

発展経済学はアメリカの政策の変化により生まれた。トルーマンはアメリカの新政策として、未開発の(under-developed)国を発展させると演説したとき、under-developedということばはまだ辞書には載っていなかった。

■「幸せ」の変化
幸せの概念は様々だが、ヨーロッパの文明を必要としないで暮らしていた人たちの生活には幸せがあったはず。

その後、間接強制労働のシステムができ、その中で幸せが定義されるようになった。例えば、「何が買えたか」が幸せの尺度になるなど。

森林も、海も川も魚を捕る技術も無いなら、現代に生きる私たちも間接強制労働の状況にあるのでは。就職するのが嫌でも、今の構造では他に選択肢が無い。

■戦争でも刑務所でもGNPは上がる
アメリカでは200万人が刑務所にいるが、政府が委託して私企業が刑務所を運営しているところもある。政府が刑務所をやると再教育が目的になるが、私企業が刑務所を運営すると犯罪者がいないと仕事にならないと考えるのでは。

犯罪だけでなく、戦争もGNPを上げる。アフガニスタンのGNPも戦争でうんと上がった。米軍、NGO、NATO軍がアフガニスタンに入ることによって倍になった。アフガニスタンの阿片栽培もGNPを上げている。

日本のGNPにはパチンコや水商売の貢献が大きい。

■Richって何?
資本主義の約束する幸せ、このシステムを動かす原動力となっているのは、「金持ちになること」、「今より金持ちになること」。つまり英語のrichになること。

Oxfordの辞書を見ると、ことばの歴史が書いてある。richということばは、ラテン語のREX=王様から来た。王様の持っている権力は、臣民がいてはじめて成立する。つまり、「この人に従わないと」と思っている人がいないといけない。だからみんな王様にはなれない。王様は一人だけで、不平等を前提としている。

時代が進むとお金の力で人を支配するようになったが、poorな人がいないとrichにはなれない。richになりたければ、周りの人よりお金をもうけるか、周りの人を自分より貧しくする。つまり、経済発展が進めば進むほど、「みんな幸せ」は無理になる。

■Richの恐怖
Richになる幸せは、人を支配できる権力の楽しみ。だからその裏には、「このステータスを失ったらどうなるか?」、「復讐されたらどうしよう」という恐怖がある。連帯から生まれる幸せとは、だいぶ違う。

不平等から生まれる不幸せは、経済成長では解決しない。

金持ちは恐怖を感じている。自殺したり、危ない立場にいる。賃金労働者は上司に侮辱されても言うことをきかないといけない不幸せがある。100円ショップのものはかなり貧しい人が作っている。中国のどこかで、5円とか7円とかで100円のメガネをつくっている。

■貧困の近代化
経済学者のイワン・イリッチは、「貧困の近代化」ということを言った。近代化は貧困を無くすイメージだが、このことばには、貧困を合理化して搾取可能な貧困を作り出すという意味がある。

貨幣経済・消費文化・賃金労働のシステムの中に組み込まれていない人は貧しくても搾取することができない。システムの中に取り込まれた貧困を作らないと、システムが上手く行かない。

■幸せの追求
幸せそのものは、追求できない。
追求するなら麻薬をするとか。すぐhappyになれる。

happyのhapは「運」で、haplessというのは「運が悪い」という意味。
happenは「何かが起こる」という意味で、自分が何かするのではない、自分でコントロールできないことを言う。

追求するのは幸せではなく、もっと具体的なこと。例えばこどもを育てるとか、ピアノを弾けるようになるとか、旅行をしたいとか、何かの技術をマスターしたいとか。上手く行けば成長したり、知識が増えたり、それでhappyになれるかもしれないが、でもそうでもないかもしれない。

■人間の矛盾
知ると苦しい、憂鬱な、unhappyになるけど、それでも知った方がいいことはある。これが人間の矛盾。

不思議なことに、大学で教えることは知らない方が幸せなことも多い。例えば搾取、地球温暖化、種の絶滅、戦争。でも苦しいものを知る喜びもある。事実は生き生きとしている。

■古代ギリシャのhappy
古代ギリシャのhappyは、私たちとは違う。狂いそうに人を愛している、情熱的に嬉しい、極端に悲しい、大失敗して眠れない、その両方を同じことばで表現した。

現実、真実を体全体で感じて生きている。苦しいときは早く終わってほしいけど、一生忘れない。あのとき私は生きていたと思える。

「真の幸せとは?」という議論を複雑にできたら、ダグラス・ラミスさんは満足。

「本当の幸せと持続可能性を考える」連続講座 第一回メモ

(「本当の幸せと持続可能性を考える」連続講座は、2008年6月の薔薇棘講師の枝廣淳子さんにご紹介いただいた。)

講師: 明治学院大学国際学部教授 辻信一氏

これまで、経済成長という目標のためには環境はどうでも良かった。日本経済は奇跡と言われる経済成長を遂げたが、達成された「豊かさ」はどんなものだったのか。果たしてこの世は幸せな場所か。GNPを何倍かにして、何倍か幸せになったのか。

これまでGNP/GDPを豊かさを測る尺度にしてきたけれど、「何のためにこんなに働いているの?」という疑問は社会のどこかのレベルには、これまでもあったはず。

1968年に暗殺された次期大統領候補であったロバート・ケネディはその演説で、健康、教育、誠実さ、機知、勇気、知識、慈悲深さはGNPには入っていない、GNPという概念からは、生きがいの全て(=幸せ)がすっぽりと抜け落ちている、と言っていた。

1970年代には、経済顧問としてビルマに赴いた経済学者のシューマッハは、ビルマの人々の素朴な暮らしぶりに感銘を受け、自分がアドバイスできることは何も無いとして、仏教経済学を唱えて「Small is Beautiful」を著した。

1972年に即位した16才のブータン国王は、GNPに変わる豊かさの尺度として、GNH - Gross National Happinessを言い出した。GNHの4つの柱は、

1. 自然・生態系の豊かさ(森、水、土、空気)
2. 伝統文化の豊かさ(チベット仏教、シャーマニズム、コミュニティー、助け合う心)
3. 公正な経済発展(不公平じゃなくて)
4. 良い政治(民主主義、国民の政治参加)

上記4つの尺度で考えてみると、日本では富山や新潟など、GNPの低い地域でGNHが高いかもしれない。東京はどれくらいの位置づけになるのか。

これまで、

1. 豊かな国は貧しい国より幸せ
2. 同じ国の中では金持ちの方が貧乏な人より幸せ
3. 金持ちになるほど幸せ

と思われてきたが、これらは間違っていることが学問的に明らかになってきた。先進国では欲望の増大が社会の荒廃を生んでいる。アメリカでは、金持ちの抱えるトラウマを解決してあげることが、お金の儲かるビジネスとして成立する。金持ちであるということは、人間にとってすごいストレス。

ビル・マッキベンの「ディープ・エコノミー」では、経済成長の3つの難題として、

1. 政治的問題(経済成長は繁栄より不平等、進歩より不安定を生んでいる)
2. エネルギーの枯渇と環境汚染
3. 経済成長が幸福をもたらしていない

ことを指摘している。これら3つは複雑にからみあっている。豊かさと幸せが背を向け合う時代になってしまった。何十年か前は豊かさが幸せだった。

産業革命前の4千年には、40年で1%くらいの経済成長で、それだとほとんど実感することはできないので、経済成長という概念は存在しなかった。

産業革命のきっかけとなった化石燃料が発見されたことで、人類はそれまでの100倍の力とスピードを手に入れた。さらに経済成長という概念が発明されると、成長は100倍加速し、40年で100%を達成するようになった。

石油を燃やしたときの熱量は、それまでのバイオマスに比べると100倍。現在の世の中のしくみは、100倍になった力と、石油は安くて永久に続くという幻想を前提として作られている。

この幻想がはじける前に、小さく幻想を壊してゆくことが必要。モデルをいろいろなところに作ってゆく。そうしたら、幻想がはじけたときにも希望が持てるし、「ほらー、お父さん本当はこっちじゃないかと思ってたんだ・・・」と言える。

ロハス、カルチャー・クリエイティブといったことばがあるが、アメリカで行った10万人の意識調査では、アメリカの人口の1/3は近代的な価値観の外で生きている、新しい文化をつくる人々であることが明らかになった。

環境問題は文化の問題。何が美しいか、おいしいか、幸せか、安らぎか。日本にもそういう流れはある。今の大学生は、現代の大人の社会を見て、「人生こんなものじゃない」と直観で分かっている。

ある問題を引き起こしたのと同じマインドセットで、その問題を解決することはできないとアインシュタインは言った。成長そのもの、豊かさという幻想を超えてゆかなければならない。心の大転換が必要。

2008年7月27日 (日)

2008年7月 天成塾・窈窕会合同勉強会感想 (象元第二十五・重徳第二十六)

■とても興味深く、役立ったこと
1. 道は直感的、実感的に感じる
人それぞれ違っていて、統一見解じゃないといけないと思うと道から外れる。もっと精神を開放する。「私はこう感じる」ということを大切に。そうすると心が広大無辺になる。どういうところにも行きわたってゆく。道と関係の無いものは無い。

2. 人と人が会うのは道の片割れと片割れが会う
すべて道の片割れだから、分かり合えないはずはない。

3. 「自ずと然り」というゴールの設定
そうすると、すーっと上手くいく。ある種、道にゆだねるところが無いといけない。
道との一体感を本当に信じることができれば、力がわーっと出るとか、そいういう余地がある。おれおれ、自分自分で遊びが無いと自然の力が入り込めない。隙間を残して自然に任せる。ゆだねないと上手くいかない。人は道と融合するとものすごい力が出る。施政者はそれを恐れて、神を人の上に置き、道、天、地、王が全く同じ位置づけだとは教えなかったのかもしれない。

4. 世の中大したものじゃないから落ち着け
冷静になって楽しむ。そんなに命を切り刻む生き方はやめる。

5. 命が大事
命をとられなきゃいいじゃないかとどーんとしてうまいものを食べてぐっする眠ることを主にしてくらすのが人の生き方。根本を見失わない。

■感想
皆さんの話の中で、今のような時代に、リーダーはどうあればいいのか、という話題があったかと思います。勉強会ではお話しませんでしたが、私は自分で考えるに、私がこの人の言うことを聞かざるを得ないと感じるのは、私の言うことを聞いてくれるリーダーのように思います。

リーダーが目下の人の言うことを聞くというのは変な話のようですが、一人で「ああしろ、こうしろ」と命令口調のリーダーを適当に「かわす」のはそんなに難しくはありません。できることは表面的・形式的に対処して、できないことは、認めて謝っとけばいいからです。怒られたら適当に聞いておけばいいし、オーナーシップが向こうにあるのだから、こちらは主体性を持つ必要も無く、楽なものです。

これに対し、もし私の意見を聞いてくれたり、あなたの言う通りだ、とか言われてしまうと、そう言っている人の望むことをこちらが受け入れないのは難しいモラルが形成される感じがします。

またアメリカソニーの盛田さん・田宮さんの話にもありましたが、細かく命令口調で言ってこないリーダーというのも、下の人間からすると本当に対処に困るものですが、新しいものを作り出すときのリーダーシップというのはこうしたものかもしれません。

2008年7月13日 (日)

重徳第二十六

重爲輕根、靜爲躁君。是以聖人、終日行不離輜重。雖有榮觀、燕處超然。奈何萬乘之主、而以身輕天下。輕則失臣、躁則失君。
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重は軽の根(こん)たり、静は躁(そう)の君たり。ここをもって聖人は、終日行けども輜重(しちょう)を離れず。栄観ありといえども、燕処(えんしょ)超然たり。いかんぞ万乗(ばんじょう)の主にして、身をもって天下より軽しとするや。軽ければすなわち臣(しん)を失い、躁(さわが)しければすなわち君(きみ)たるを失(うしな)う。
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世の中大したものじゃないから落ち着け。冷静になって楽しむ。そんなに命を切り刻む生き方はやめる。

軽とは、あっちこっち行って大変だ、大変だと言う態度。躁(そう)は騒がしいこと。「もっとしっかりしろ」と言いたくなる。落ち着いて、冷静で、したたかで動揺しないのがいい。そういうことが分かっている聖人は、弁当だけは忘れない。最も大事なものは忘れない。

綺麗なものとか、そういうもので気取るよりお弁当が大事だから超然としている。命の方がよっぽど大切。

中くらいの国を治めている国の君主が軽かったら、部下が去って行ってしまう。命をとられなきゃいいじゃないかとどーんとしてうまいものを食べてぐっする眠ることを主にしてくらすのが人の生き方。根本を見失わない。

▼「厳しい」ということは誤解されやすい。本当に厳しいというのは、がみがみ細かいことを言うことではない。厳しさをはきちがえない。

アメリカソニーを作った田宮さんは、ある日「コピーとっといて」というのと同じような感じで盛田さんに「アメリカソニーつくって」と言われた。どうやってとたずねても、「どうやったらいいかも任す」、いつからアメリカに行くのかと聞いても、「そこに座っててもしょうがないから今日とか明日から行った方がいいんじゃないの」、アメリカでは誰を訪ねればいいか聞いても、「まず不動産屋行けば?住みかがないと」といった調子だった。アメリカソニーは今6~7兆円の企業に成長している。

盛田さんは田宮さんから相談を受けても、「大変だね、胃薬飲んだほうがいいんじゃないの」、意思決定を求めても、「いいでしょうかって、君がやるんだからね」という対応だった。本当に厳しいというのはこういうこと。

▼「主」という漢字の、王の上の点は炎を表している。主という字は、明かりを表している。明かりは動いちゃいけない。大難のときに国民にあかりをともす存在。「主客」というが、主の反対に、客という漢字は、家の中におのおのと書く。旅館やホテルのように人が入れ替わる感じ。主がいないと暗い。政治の役割は主になることなのに、今は政治が客になってしまい、右往左往している。

2008年7月12日 (土)

象元第二十五

有物混成、先天地生。寂兮寥兮。獨立而不改、周行而不殆。可以爲天下母。吾不知其名。字之曰道。強爲之名曰大。大曰逝。逝曰遠。遠曰反。故道大。天大。地大。王亦大。域中有四大、而王居其一焉。人法地、地法天、天法道、道法自然。
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物あり混成し、天地に先だって生ず。寂(せき)たり寥(りょう)たり、独立して改まらず、周行して殆(おこた)らず、もって天下の母となすべし。われ、その名を知らず。これに字(あざな)して道といい、強(し)いてこれが名をなして大という。大なれば日(すなは)ち逝(ゆ)き、逝(ゆ)けば日(すなは)ち遠(とほ)ざかり、遠(とほ)ざかれば日(すなは)ち反(かへ)る。故に道は大なり。天は大なり。地は大なり。王もまた大なり。域中(いきちゅう)四大あり、而うして王もその一に居る。人は地に法(のっと)り、地は天に法り、天は道に法り、道は自然に法(のっと)る。
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道の説明をしている章。道のありようを自己のありようとするのがよりよい生き方。そのためには手本である道を知る。

天地の前は混沌から始まった。混沌は重要で、混沌が無いと新たなものが生まれない。場を混沌とさせなければ、新たなものは生まれないから、良い創造のためには混沌の中に入って行く。

(天地に先立って生じた混沌は)、静寂で独立しており、変化することがない。いろいろなところにあまねく行きわたっている。強いて言うとこれが道。だからこれを母とする。人の子はお母さんのいうとおりにする。人は万物の母である道のあり方の通りにするのが平穏無事。

道は直感的、実感的に感じることが大事。人それぞれ違っていて、統一見解じゃないといけないと思うと道から外れる。もっと精神を開放する。「私はこう感じる」ということを大切に。そうすると心が広大無辺になる。どういうところにも行きわたってゆく。道と関係の無いものは無い。

人と人が会うのは道の片割れと片割れが会う。すべて道の片割れだから、分かり合えないはずはない。

人は生まれた瞬間に道を忘れ、道から遠ざかって、自力で生きてゆくことが成長だという教育を受ける。この結果、共生とか融合とか、上手くやってゆく力を失ってゆく。対立とか区分するという要素は道には無い。人はそのように道から離れて行って、あるところでくるっと返る。

この世の働きは遠心力と求心力。この2つは同じもの。遠くに行けば行くほど、帰ってくる力がある。秘密にしようとするとバレたり、もっと売ろうと思うと売れなかったりするのはこのような道の力の働き。この世のものは、すべて道の力が影響している。

天、地、われわれの住む空間は道の影響を強く受けているから、道のありようを忘れると上手くいかない。王(=人)も道の影響を受けている。道、天、地、王は広大な宇宙から見れば全く同じ位置づけ。道のありようを自然に受け入れているか。「自ずと然り」というゴールの設定をしているか。そうすると、すーっと上手くいく。ある種、道にゆだねるところが無いといけない。

道との一体感を本当に信じることができれば、力がわーっと出るとか、そいういう余地がある。おれおれ、自分自分で遊びが無いと自然の力が入り込めない。隙間を残して自然に任せる。ゆだねないと上手くいかない。人は道と融合するとものすごい力が出る。施政者はそれを恐れて、神を人の上に置き、道、天、地、王が全く同じ位置づけだとは教えなかったのかもしれない。

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